もし自分が嫌になったらその時はそうやっていていいから頑張ろ
こんにちはgreenfountainpupilです
母との関わりが 意思疎通がしづらいと
感じたのは 20歳になってからです
母はその時まだ50歳代
まだまだ 元気があったのですが
妹がまだ幼く 5歳でした
そして 私は 精神病を患い
話をすることすら 難しいです
そんな時に
ゆりは死んで
そして 鼻炎は悪化
生きるためには 家庭内奉仕が必要でした
誰より 控え目
誰より 不細工
誰より 汚い
そんな 心の中で 自虐行為はすすみ
鏡の前で 自分で自分に 思いっきり
頬に ひっぱたく
それが 究極の 自分への制裁でした
それが 違うなって
思ったのは
母の力が 解ったとき
そんなもんなんだ・・・・って
冷静に見れました
そこから
母に依存することはありませんが
幼い時の 辛いことを
ずっと 言わせない 母なので
私は ずっと 家族の中で 最低でした
それでも
いいんですって
思っていたのは 精神病で 妄想しているとき
幸せでした
やさしい 幻聴さんなので
たぶん それは
私が 本来言えることを
できる 優しさを 脳内物質が間違えて
幻聴として 表したのだと
思います
人より やさしいって
家族には 当たり前で
何度も 家族は 社会に傷ついていたこと
私が また 優しすぎたんでしょう
そして・・・なんにも・・・・
最後にノート三冊
母への手紙を書き
もう 疎遠となりました
それが いいってことに
今気づいています
毎日毎日 特に いまの 仕事場は
楽しいです
障害者でも 障害が そのままでいれば
だれでも やけくそに なりますよ
ただ 私は 家庭内奉仕が
楽しかっただけです
人とは違うことを 内緒にして
私は育ちました
それが 今になって 普通に
普通が 簡単に 判断できるんです
そうじゃないことを
責めたりはしません
だって 個性や 性格なんて
障害 自分にしかできないんですから
それでも 近くに 誰かがいて
知らなくても
それで、そこから 成長する
そして 私はすでに
どうすればいいかを 対策として
こうやって ブログに書く
ことでも ほかでも
いっぱいできる
それは 障害があるから
苦しむから 逆に
少しの 喜びも
ひとしおなんです
ありがとうございました。